(ああ)夜よ

 わたくしのペテルブルク滞在(83年)はたったの四日間であった。ドストエフスキー氏作『白夜』風に記せば、第一夜、カリンキン橋、第二夜、旅途中で知り合った人たちとの再会、第三夜、ラスコリーニコフと、ほぼ同じ大地付近に接吻、以上である。ニコライ・ゴーゴリ氏作『外套』については、もう有名なので繰り返さないが、毎夜、アカーキィェヴィッチが出没するという場所がカリンキン橋である。そのモデルとなった橋は実在するものの、橋の名前は異なっているという記憶なのであるが、とすれば、どうして、その場所を特定したのか、いずれにしても、はっきりしない。ただ、「名作に見る住まい」というサイトによると、カリンキン橋は実在するとある。ネフスキー大通り近くのホテルから、とぼとぼと薄暮の中を歩き、橋から運河を眺めた、ただ、それだけのことである。外套を取り返すことのできた彼はその後一切出ることはなかったと謂い、もちろん、逢えなかった。ラスコーリニコフの大地にいたっては、あてずっぽうかもしれない。
 とりあえず、ペテルブルクにキッスである。
 次第に長くなっていく日(昼下がり)をもてあまし気味であり、古い本を引っ張り出して、読んでいた。「白夜」にふさわしい。
 ああ、夜よ。

外套』(青空文庫
狂人日記』(青空文庫