不慣れ

・・・なことはするものではない、と思いながら、麓の『徐福長寿館・薬用植物園』で、ご丁寧に、ご親切に上宮への道のりを教えていただいたこともあり、途中、何度か、戻ろうかと、(心身ともに)くじけながらの「初登頂」であった。少し、ご案内しよう。館を含む公園を出ると、左(南)に長崎(高速)道をみながら進むと、「徐福の里 物産販売店」という看板を、店は閉まっていたのであるが、一体、何を販売しているのか、気になってしかたがない。北(山)に向かって角を曲がると、左手に葉隠れの里という文字が目立って、そこが学校であることに気づく。弘学館(こうがくかん)、葉隠を生んだ藩校「弘道館」を意識した名づけなのであろうか、歴史は浅いと同校のサイトにある。(ちなみに水戸藩校も弘道館である)
[徐福とコカコーラ]※隣の女性は「お辰」か?
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 キャンプ場の脇の道から坂の勾配がさらに厳しくなり、そこから一時間の山登りが続く。金立山(前回は、きんりゅうざんと表記したが、長寿館のHPには「さん」とある)は標高500メートルほどの小山であり、また、間近に高速道が走っていることから、登る途中、轟音が絶えることなく聞こえ、絶境という雰囲気にはなかったけれども、途中、吹上観音を過ぎるあたりから、滝水の音が混ざり、まもなく、山は静寂以外の音もなく、上宮が近いことを予感する気配を感じながら、なおも登り、平らな地に出ると、上宮である。祠の背後には巨石(岩)が、どかと根座している。
[上宮の神石(体)]
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 秦の始皇帝というのは、歴史の教科書の最初のほうに必ず出てくるから、その後の中国(今でいう)の歴史など碌に聞いていなくても、彼だけは辛うじてその名を憶えている、わたくしから見ると、そういう位置にあって、徐福のことを知っていなければ、ただ、それだけのことである。といって、今でも、それだけ以上のことでもないけれども、空想という延長線上に、どうしても引っ掛けておく必要もあって、「史記」を眺めている。ただし、手元になく、ほとんどを他人(よそ)様のご苦心(労作、秀作)を利用させていただいている。(感謝)
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齊人徐市等上書言
海中有三神山
名曰蓬莱 方丈 瀛洲 僊人居之
請得齋戒 與童男女求之 
於是遣徐市
發童男女數千人
入海求僊人
『古代史獺祭』:こだいし だっさい)より引用
 上記文は『史記』の卷六/秦始皇本紀第六/始皇帝二十八年の項にある。大雑把にあらわすと、斉の国(徐福の生地といわれる現在の江蘇省を含む一帯)の徐市(じょふつ;徐福の別名)らは、不老不死を強請る始皇帝に、海の向こうには、蓬莱、方丈、瀛洲 (えいしゅう)という僊人(仙人)の棲む神山があり、そこに皇帝が望まれる妙薬があることが判ったので、斎戒を済ませた穢れのない童男女と伴に、この徐市を遣わせて欲しい旨の書面を上申した。最後の二行にあるように、皇帝が認めて、数千人とともに出航したが、最初の航海は失敗であった。その後も何度か試みられたのか、同「三十七年」には、
方士徐市等入海求神藥 
數歳不得 費多 
恐譴 乃詐曰  蓬莱藥可得
然常爲大鮫魚所苦・・・(古代史獺祭)より
とある。雑訳する。
「徐福(徐市)は神薬を求めて(何度か)航海を試みたけれども、年月と費用ばかり嵩むばかりであった。(とうとう)皇帝の譴責を恐れ、『蓬莱』に妙薬があることは間違いありませんが、進む道を大きな鮫魚(≒鯨)が阻むので・・・と虚偽の申し立てをし」、再び、海へと、そして、東渡に成功し、蓬莱の妙薬を得た。同じ頃?皇帝は没しており、不老不死は叶わなかったけれども、徐福一行はその後、日本各地へと播り、稲作や捕鯨(大きな鮫魚)、百工を伝える・・・。
 以上は、伝説である。徐福の東渡(佐賀県上陸?)は紀元前210年(始皇帝三十七年)、史記は同91年に書かれており、今で算(かぞ)えれば、明治末期の〓末(噂話)を祖父母から聞いて、書き遺すような、そういう「間」である。嘘とも実(まこと)とも、判断しかねるけれども、嘘としては現実味がことのほか香るし、史実であれば、祖父母の、まるで実際に見たような脚色に気をつけさえすれば、絵空事として済まされない焼け落ちた古い蔵の前に立ったような焦げ臭さを感じる。
 上宮より金立山頂は間近にあるが、わたくしの興味の範囲にない。攣り、強ばる下半身を上半身で支えながら、登ってきた道を下る。戻った麓近くに中宮、さらに、正現稲荷神社とあるが、もう、わたくしの上下は限界を超えていた。あとのまつりであるが、頂には奥の院があると知った。坂は一度登り、そして、下ってしまうと、もう、二度と、戻ることは(でき)ない、そういう、ごく普通のことを今さらながら、がばい(とても) 、と、感じ、終わりが近づいている、おひなまつりの街へと向かう帰りのバスを、好きでもない桜を眺めながら、待っていた。