^廿^

 わたくしが育った町の、住んでいた家から、そう遠くないところに地盤に埋め込まれるようにして、大きな円形の秤があって、しばしば自分の体重を測りに行ったことを今でも少し憶えている。当時のことであるから、家庭用のヘルスメーターなどあるはずもなく、銭湯にも通っていて、そこで、測った記憶もあるけれど、あいまいな憶形でしか残っていない。しかし、冒頭の秤については、微かな記憶の中で、もっとも大きな欠片が「荷重」という言葉であり、その記憶片のお蔭でもって、そこが、トラックなどの重量を測る検査所であると類推できる。調べてみると、自動車重量税のためではないかと知ったが、記憶の中では、やや、ずれていて、税の取立てという冷たい雰囲気はなく、なんだか、測るほうも、測ってもらうほうも、やぁやぁという感じでもって、ふぉんふぁかと、和やかである。近所のおっさん同士であって、昨晩、いつもの居酒屋で顔を合わせたばかりというような軽〜い調子でもって、いまだに宴を続けているように、和気藹々と測っている、そういう記憶でしかない。もしかしたら、正式な検査所ではなく、自主的なものであったのかもしれないけれど、そのあたりは定かではない。しかし、わたくしの体重測定という目的は果たしていなかった。そこで測ったわたくしの体重はほとんどゼロ、日頃トラック相手の秤では目盛りが動かない、わたくしのは、その程度でしかなかった。(当たり前ではあるけれど)それでも、ぴぃょんぴぃよ〜んと、その場で意味のない垂直跳びをして、目盛りを揚げようとしていた。以上、ちょっとした、めもりぃである。
 標題の廿は二十(20)の別表記である。十と十(十_十)であろうか。丗は30、下線を省き、単に十十十(卅)と表示することもある。ではと、しつこいが、40は〓、十十十十(下線なし)まではあるようで、これ(40)というのは、わたくしたちが数を留め置く際に用いる「正」の欧米版と似ていないだろうか。ただし、遣いかたは1・2・3・4が「||||」で、最後に横棒「−」をだんごの串がわりに前記||||の真ん中あたりに刺すと5。正の字の「止」の下線部にあたる。廿のことに戻る。広島県の西部に廿日市市(はつかいち・し)という町がある。地図を眺めると、広島市に接し、島根県山口県ともお隣同士であり、もう、目の前は瀬戸内海で、宮島が望める位置にもある。(05年11月3日に大野町とともにその町と一緒になった。〜できれば、廿日にとも思うけれど、他の二町のこともあるので、そうもいかない)名のとおり、廿日(毎月20日)には市が立ったのであろう。二日市(福岡県、現在の市名は筑紫野市)、四日市三重県)、五日市(現東京都あきる野市)、廿日市の横、広島県佐伯区も、もともとは五日市が繁華の中心にあった、八日市滋賀県、現在は東近江市)、みな、そうなのであろう。六日町、十日町(いずれも新潟県)などもそういう雰囲気である。八日市場(千葉県、現在は匝瑳・そうさ市)、十日市場(横浜市緑区のJR駅名)などのように、まんまの名も残っている。都市名に限らなければ、全国各所に、そのような名づけがある。八戸や鶴岡あるいは会津若松には、町名としての「市日」(いち・び)が存在しており、例えば、八戸でいえば、朔日(ついたち)町、三日町、六日町、八日町、十一日町十三日町十六日町十八日町・・・、全てが市場に由来しているわけではないけれども、街自体同様に品の良い興趣を感じさせてくれる。大秤のあった田舎町にもあった、二七の市といったので、2・7・12・17・22・27と月に6回立っていた。ずいぶん忙しい。近在農家の野菜やお花(供花)、駄菓子などを出していて、付近の店舗も便乗するから、それはそれなりに中途半端ではあるけれども華繁な居心地もあった。六齋市といって、各地にある。齋は物忌み、いつき(忌憑き?)であり、何モノかを御祓いするために行なわれていたともいわれる。(本来は仏教に由来する六齋日である8・14・15・23・29・30の六日間は、善行に勉め、悪行を控えなさいという意味であるけれど、いつのまにか、あるいは地方の事情によって、月に6回をさすようにもなったらしい)縁日というのもあるが、こちらも、ほぼ同じような意味があるそうで、縁とは、わたくしでいえば、わたくしの外側に位置し、かつ、まるっきり外側でもない帯領域(ふち)をさしており、なんだか、気味の悪い域であるが、そのような気分を、市(いち)といった賑やかさをもって、祓おうとしたのであろうか、そのあたりのことは、まだ、良く分からないけれども、所用も絡んで、二たび、「市」というものを考えており、近いうちに、いくつか、ほっついてこようかと、頭の中で、あれこれ、空想像している。参考拙ブロ(那覇中心徒歩記?〜農連市場;05年11月10日付)