ナンバーバンク

 用件もあって、アッチコッチから長崎市を眺めている。ここを本拠とする地方銀行十八銀行がある。1872(明治5)年に始まった国立銀行条例によって、申請順?許可順?に政府から附与された番号(ナンバー)に由来する。もう知らない人のほうが多いのかもしれないけれども、現在の”みずほ”銀行は、ナンバーバンクの「イの一番」である第一国立銀行が本(もと)のひとつであり、同行は、その後、第一銀行となり、さらに、日本勧業銀行(国策的な特殊銀行)とくっついて、第一勧業と名乗り、色々あって、今は前記のミズホになっている。国立とあるけれど、民営、だけど銀行券を発行できたらしい。国立銀行以外にも民営の私立銀行があったらしいが、コッチは発行できなかった。(日銀資料より)
(↓は十八銀行の券;同社HPより)
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Copyright(C)2003 The Eighteenth Bank, Limited 
 現存するナンバーバンクは、十八のほかに、第三(三重県松阪市)、第四(新潟市)、十六(岐阜市)、七十七(仙台市)、八十二(長野市)、百五(津市)及び百十四(高松市)である。当初は153まであったそうで、5%ほど残存していることになる。ただし、八十二だけは事情が異なり、『語源探偵団』というサイトによると、第十九銀行(上田第十九銀行 )と(第)六十三銀行(松代第六十三銀行)が合併した際に19+63=82としたそうである。正しい第八十二は、鳥取八十二銀行である。この伝(八十二方式)でいけば、現在の東京三菱UFJは何番になるのだろうか?あまりに多すぎて、足しきることはできないので、この作業は諦めることにする。また、中には、合併などで吸収され、その名を留めていない場合もあるが、もう姿(組織)自体が存在しない銀行もある。『銀行変遷史データベース』(社団法人東京銀行協会銀行図書館作成)という資料があって、それによって、おおむねの銀行の行く末が分かる仕組みとなっている。もっとも最後に認可を受けた第百五十三国立銀行(京都)の場合をみると、1879(明治12)年〜1986(明治19)年まで存続し、その後、第百十一国立銀行(1978=明治11年設立)に吸収されるが、同行も1898(明治31)年に営業停止命令にて閉鎖されている。イッコ上の百五十二は迷走する台風のような歴史をもっている。1879(明治12)年に沖縄で生まれるが、4年後には鹿児島に遷り、営業停止期間を経て、1891(明治24)年に東京へ。さらに、5年後の1896(明治29)年には大阪へ遷る。翌年、国立銀行から株式会社(私立銀行)に変わるが4年後の1901(明治34)年に任意解散している。20年余りの短命銀行なのに3度のお引越しをなさっており、当時の雇用制度がどうであったかは不明であるが、もし、設立当時から継続して勤務していた行員がいたとしたら、これは大変なことであっただろう。(いらっしゃらないと思うけれど)
 ところで、通帳やキャッシュカードなどを見ると、口座番号が記されている頭の方に4桁の数字があって、これが銀行番号(統一金融機関コード)というもので、金融機関の種別によって、都市銀行から始まって、政府系金融機関に至るまで、「ごと」に割り振られている。証券会社及び外国銀行にも希望枠があり、附与されているらしい。「統一金融機関コードの一覧」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)で確認すると、冒頭の十八銀行は0180、こちらでも當(あたり)である。ちなみに日本銀行は0000、他に四並びを探したけれども、2222=(旧)東京東和信用組合(経営破たん⇒江東信用組合2229に事業譲渡)以外は見当たらない。ただし、コード0444はあって、忌み嫌うはずの中華系オーバーシー・チャイニーズ銀行(新嘉坡)に割り当てられている。あれこれ、銀行を渡り歩いているうちに、面白いサイトを見つけた。『(宝田 萌コレクション)銀行の封筒』早速、十八銀行をみると、なんだか味も素っ気もないし、第一、名前が見当たらない、単なる封筒である。画面を遠目に眺めてみると、お札風に「透かし」のような物(字)体が確認できるが、判読不明である。長崎を訪ねた折には、不審者と思われないよう気をつけて、(こっそり)封筒を戴いてこよう。