ありがち憲法17条

 標題で、ありがちなのは聖徳太子によるといわれている十七か条である。有名なくだり(条)は、一日(一に曰く)『以和為貴』〜和(やはらぎ)を以(もっ)て貴(たつと)しと為す〜であろうか。これについては、何か忘れているけれども、車内広告でよく見かける。(でも、何か憶えていない、奈良の観光PRだったか?)同法の17条(十七に曰く)というのは馴染みがないけれども『夫事不可獨斷』〜夫(そ)れ事をば獨(ひと)り斷(さだ)むべからず〜であり、なぜか、他の十六条が全て四語で始まるのに対し、この条だけは六語である。どうした太子、折角なのだから、合わせてほしかった気もするが。意味するところは、「些事はともかくも、物事は独りではなく、皆と相談して決めなさい」で、解釈の仕方次第によっては談合を奨めているようにもとれる。十七か条については、法というよりも、方、つまり、何か揉め事があったりした際に、とりあえず、丸めるための方策のような意味あいが強いように思う。今でいえば、家庭のルール、学級の決め事程度であり、時代も人も変わった今日において、もしかしたら、家庭も学級も、とても17ばかりでは、コトは収められないのではないだろうか。とはいえ、言っていることは、今でも通用するのかもしれない。
 ところで、只今の憲法十七条というのをみると、憲法の軽さがよく見えてくる。
日本国憲法 第17条
 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
 ???これというのは、ケンポウで規定するようなことなのであろうかという素朴な(素人っぽい)疑問を措くとして、五千歩ほど譲ったとしても、何人も、公務員に賠償を求めることのできるような事象が、アチコチにありながら、そうしないのは、憲法違反なのかという、余計な心配さえしてしまう。まっ、法律の定めるところにより、という箇所が文(あや)ではあるけれど、9などに較べると、まったくもって地味な憲法である。これを機会に、日本国憲法でも眺めてみようかと、そういうような考えは、当然ながら、わたくしの身勝手な憲法の条には存在しない。