ご自由に

 お持ち帰り下さいと、紳士服屋さんなどでハンガーの詰まった段ボール箱を見かけることがある。つい先日まで、わたくしの通い道にある箇所でも、そのような貼り紙があって、しばらくの間、通るたびに観察及びカウントしていたら、いつのまにか、全て、なくなっていた。ただし、服屋さんではなく、もうずいぶん前に閉業したお店が舗内を片づける気になったのか、籐のテーブルやらソファー、食器や雑貨類を店頭に並べていた。定番のハンガーもあった。これは、と思うモノもあったが、わたくしはモノに囲まれていたくのないので、参加しなかったけれども、皆さん、あれこれ考えた挙句、迷って、悩んだ末に、自宅に納まり切るかどうかというような適度なバランスを考慮したうえでもって、お引き取りしていったようである。リサイクルという考え方が浸透してきたためなのであろう、これから、引越しシーズンを迎えることを考えると、いっそう、このような光景を見かけることが多くなるのかもしれない。
 と書いている、拙ブロ(及び、わたくし)も、ブログの意匠なり、あらゆるものを、ご自由にという、「お言葉」に甘えることにより、成り立っているようなものであり、拙な文章であるけれど、それさえも、もしかしたら、以前読んだり耳にした言葉を「ご自由に」用いているのかもしれない。そこのところが微妙で、あまり、ご自由に、に慣れてしまうと、その自由さ加減がかなり曖昧というか、甘え過ぎになってしまう危険性をはらんでいる。政治家などは、この加減の世界に常にいるから、もう、無感覚に、甘〜え過ぎ〜、なのだろうか?わたくしには、実際に政治家という経験がないので、さっぱり分からないけれど、想像のうえでは、うんうん、やはり、甘えに走るのだろうなぁ、と、至極、甘い評価をしている。もう、ずいぶん前であるが、高速道路のSA(サービスエリア)で路線地図を無料配布(頒布)していて、その立派さに惹かれて、もうすでに、何日か前に頂いているのに、もう一冊、あるいは、行くはずのない中国山地を貫けている道路の地図をついでにもらう・・・こういうことを繰り返していたからなのか、向こうさん(旧道路公団)も懐が怪しくなっていた(あるいは、ご自由になる懐がなくなってきた)ので、とうとう、いつの時点からか、窓口で申し出ないといただけなくなっていた、しかも、お一人様一冊に。(ま、二度三度行けば、向こうも事務的だから、いただけるのであろうが)当時は、電子地図もグルグルもない時代であったから、まことに貴重な、「ご自由に地図」であったと思う。で、最近のご自由にを白状すれば、旅行会社のパンフである。駅や商業ビル内にある支店などを見かけると、ご自由に魂(さもしい根性)がフツフツとなり、リュック一杯に詰めてしまうこともある。今どき、パンフの内容はネットからパソコンに詰めることもできるが、やはり、コッチ(ぱんふ)の方は量感があるし、第一、満足(充足)感が全く違う。この先、訪ねることは、「まず」ないだろうという分も含め、ごっそりと持ち帰っている。おかげで、モノに囲まれてはいないものの、この種の紙類に居場所を侵されている。処分しようにも、未だにホッチキス(懐かしい言葉だけど、今やステ〜プラァの方が一般的らしい)装着のため、まんま捨てられずに困っているので、こっそり、もとの棚に戻して来ようかと、世界文化遺産登録記念むにゃむにゃというパンフ類を、眺めているところである。
 ご自由には、心地の良い言葉であるし、できれば、そういう甘えた〜い心持ちの中に浸っていたいのであるが、昨今は、そういうことを許さない雰囲気がアチコチにあるようで、「ご自由に」さんも、あながち、ご自由ではないということが、パンフの置き場所並びに、わたくしの居場所をどうしたものかと同様、気に懸かっている。