北関東垂れ記6〜空中都市ぬまた

 上州の熱暑と空っ風は、夏と冬とを対称する自然の厳しさとしてあまりにも有名である。今夏、訪れた際も軽い熱中症になりかけて、参ったと、先日も書いたけれど、尋常ではない。合併により、上州の東北端を広く占めており、野州下野国)日光とも境を接するようにもなった、その町の気温を調べてみると、最高気温は78年以降35℃超の年が多く、37度が87年に記録されている。最低はというと、零下10℃が目安となり、−13.5度(84年)が底である。(いずれも気象庁データ)
 やはり、暑い、寒いの部類に入ろう。
 ちなみに山形市40.8度(33年7月25日)、北海道旭川市−41度(1902年1月25日)は歴代1位の高と低、11月をみると最高気温を記録しているのは東京都内、逆に最低は静岡県内と気象庁の「気象統計情報 > 気象観測(電子閲覧室) > 歴代全国ランキング」にはある、沖縄でも、北海道でもないらしい。
 さて、沼田市である。05年2月13日に白沢村・利根村編入し、443.37k?に約55,000人が暮らしている。中心となるのは今は公園となっている沼田城(17世紀末に事実上廃止)辺りであろう。ココを前記気象庁の観測地点と考えれば、標高(海抜)439メートルとなっており、「麓」のJR上越線側からは小高い山を形成しているように見える。初めて、訪れた時には標題の空中都市〜まるで、ペルーのマチュピチュのような町だなぁと無知そのものであったけれど、のちほど、調べてみると、「河岸段丘」であった。今回(ただし、これは5月末のこと、ドイツ珈琲の店『夢』の帰り、拙ブロ06年6月3日付)、初めて、駅から歩いた。さすがに、JRもこの丘を越えるだけの気力はなかったのであろうか、現在でも街の中心は丘の上にあるが、鉄道からの市民は、あるいは訪問客はバスなどに頼らないと、街にたどり着けない構造となっている。そのことが築城には適していたのでもあろう。地形状、この南は両毛平野であり、関東への要衝に位置し、歴史の中で何度も争奪戦が繰りひろげられたと「沼田市のHP」にもある。一応、バスもあるらしいが、待つぐらいであれば歩いてみようと、月夜野で降られた雨も上がったようなので、無茶をしてみた。新緑の鮮やかな野を眺めながら、一歩一歩、視界が高まり、広がっていく。河岸段丘というのは珍しい現象というほどのことでもなく、日本のように河川が多く、しかも「小」河である場合、流れは急にならざるをえないので、浸食作用が大きく、土地の隆起、川床の侵食という運動を繰り返しながら、沼田のような土地を生み出した。要するに縦方向でプラス(天)とマイナス(地)の力が働いているうちに、何層にも丘が形成されていく。ちょうど、出汁捲き卵を丹念に作ろうと思えば、ひと巻き終えて、脇に置き、次の巻きをフライパンの真ん中付近にこしらえて、で、また、脇へと・・・この繰り返しで美事な出汁捲き(より堅固な地塊としては厚焼きの方が適切な表現か?)ができあがるように、河岸段丘は形成される。丘の上は秀でた調理人が作ったように、ほぼ均等に平らであり、おそらく、建物が存在しない状態であれば、向こう(片品川左岸)のような段(たん=坦)とした容姿なのであろうか。ここは、後背の豊かな山々から「輩出」される銘木もある(最近は間伐材を活用しているようでもある)、また、前回訪れた時に、覘いてみようかなと思うところもいくつかあり、いずれにしても、次は、泊りにきてみたいものだと、この卵焼きの上に立ちながら、妄想していた。できることなら、出汁捲のようなふわんふわんとした枕もほしい。