立ち呑み(公衆論)

 立ち呑みというお題で、今はもうないが、拙HPのコーナーで、以前書いたことがある。内容の骨子は、なぜ、新宿駅の構内(改札内)に立ち呑みバーがないのかといった、まったく仕方のないものであったけれど、近頃も、何度か街場の立ち呑み屋さんに立ち寄って、そこで公衆論を考えている。(呑むための単なる口実に過ぎないけれど)タルドの公衆論(公衆がなくなる日、拙ブロ05年12月1日付)を繰り返すと、ある一定のルールでもって、群衆が公衆となる、というようなものである。足を攣りながら、また一杯と重ねる間に、立ち呑みの精神に公衆論を見つけたといえば、それはそれで、はいはい、と、酔っ払いの話として、耳を傾けてくださる方もいらっしゃるかもしれないと、わたくしなりに、立ち呑みにおけるルールを整理してみた。(順不同)
 ?商品(お酒、肴)の対価はその商品を授受した時点で清算を行なう。
 ?空いている時はともかく、立ち位置は原則、カウンターに対して斜めとする。(この方がお客さんがたくさん収容できるので、お店は助かる、儲かる)
 ?長居は無用(渋谷の某店では時間制限の札が掲げてあった)※この意味はもちろん回転率を高めるという経営原則にもよるが、あまり長くいると、足が攣るし(コレは、わたくしぐらいか)、酔っ払って、他のお客さんに迷惑をかけるからだと推測できる
 ?(できれば)一人寂しく呑む。連れは1人まで。
 ?(できれば)隣の人に声をかけない、お隣さんも一人寂しく呑みたいのかもしれないから。※迷惑をかけないのは当然。
 他にもあるのだろうが、以上のようなところであろうか。ところで、拙ブロ「パブなきもち」(06年1月14日付)において、いわゆるパブ(こちらは公衆酒場といわれている)のルールを書いた。↑和風パブ(立ち呑み)ルールの中で??及び?の「迷惑をかけない」は共通するのであろう。ただし、?は立ってが原則であるが、本場パブには椅子席がある場合も多いので、△ぐらいであるけれども、一方で、和風パブの発展系にもビールケースや日本酒用の木箱を椅子とする事例があるので、ま、立ちでも座りでも構わないとして、ただし、(お店のために)できるだけ詰めてというのは共通項であるだろう。また、?は上記のように座して呑むというパブ方式の場合をもっては、ある程度の長時間滞留はいたし方がないことと考えざるを得ないが、むしろ、?及び一部?(隣の人に声をかけない)に関わるところでは、若干異なる面もあり、パブに出かけて、わざわざ仏頂面していたり、ニヒルに呑んでいても、いたし方ないことなのであろう、やはり、それはそれなりに、演奏にあわせて、肩組んで、歌う(歌詞を知らない場合はフリをする)のも礼儀かもしれないし、おそらく、その場にいたのなら、自然に肩も揺れ、そのうち、ふれ合い、組んで、歌っている気分になるものなのであろう。ただし、↑にも書いたが、他のお客さんの迷惑になってはいけない、悪い思いをさせていけない、というのは当然である。そのことが、パブ=公衆ということなのであろう。
 ここまで書いて、どうしても、夏目漱石三四郎にある「公(きみ)らはタイプライターにあらず」(拙BLOG、05年6月7日付)という表現が邪魔になっている。君ではなく、公が遣われている。公というのは、やはり、上から診(み)られている気分がある。もっとも、君(きみ)も同じであろうか、君主ともいう。そもそも、パブリックを公衆とあらわしたのは誰か、そういうことを調べていても、さっぱり分からないという難点が前提にあるけれども、「パブリック」と「公衆」は全く意味あいの異なったモノであると考えた方が、面倒くさくなくて良い。漱石三四郎)氏が上記「公らは・・・」と留め書いてあったというヘーゲルの書は第一、帝大図書館の蔵書であった、当時の帝大は現在以上に「公」が幅を利かせていた時代に違いはないであろうから、公らは、いずれ「公」に仕えるであろう、お役人となる君(YOU)らのことを指していたのかもしれない。当然ながら、明治期においては公は朕(あるいは邦=くに)であるけれど、その後、(いつのまにか)公は役所になってしまったみたいであるから、余計に公衆の意味あいが曖昧模糊になってしまったように思う。公衆=朕の衆というような定義であれば、まだ解りやすいけれども、役所の衆まで成り下がってしまっている今日においては、「?」という気分がより強くなっているので、なおさら、公衆の意味がつかみづらくなっているのだろうが、そういう今はともかくも、明治期(に造語されたという確証もないけれど)においては、おそらく、朕=公主(≒君主)がいて、その主の仕い(遣い)である「公(君)ら」、そして、朕に代わって、公(君)らが診る(掌握する)衆、そういう雰囲気の繋がりでもって、パブリック≠公衆という違訳作業が行なわれたのではないかという、何の根拠もないけれど、手前勝手な思いをもっている。もっとも、ご本家のパブリック自体も、その定義は確固たるモノではないのかもしれない。以下は、ひとつの社会学の見方でしかないが、群衆⇒(発展した形として)公衆⇒(堕落した形として)大衆という経過論がある。真ん中にタルドがいて、前者はル・ボン、後者はマンハイム、のちにアメリカに伝播してブルーマーということになるけれど、いずれにしても、19世紀末〜20世紀中盤の話であるから、江戸〜明治〜大正、昭和という近代化の日本においても、その考え方が「感染」(ル・ボンの理論でもある)していても、なんら不思議はない。これだけでは論じようはないけれども、堕落論という観方に立てば、上記、群・公・大というコースは当然の帰結ということかもしれない。ただし、この堕落はあくまでも社会学という範囲の中で「集(衆)」を材としたことであり、自分自身(個別)の堕落は安吾が記すように、自身から求める(堕ちる)しかない。
 では、只今(現代)はどうかというと、群衆とも、公衆とも、そして、大衆とも、また、皆の衆とも表しがたい状況であることは間違いないのであろう、あえて、それを表わす言葉として、無衆という表現もあるのだろうか。衆寡敵(てき)せずとは、おおむねで表わせば、多勢(衆)に無勢(寡)というような意味合いであるけれど、無衆は、これには中らない。無はまさに「ゼロ」であるけれども、無勢ではないのであろう、むしろ、ゼロ(無)の衆=多勢であるところに、息詰まるような思いがする。数学的にはゼロは何をもって(加減乗除)も、ゼロに変わりはないのだと、教わったけれども、衆においてはその限りではないようである。ゼロの集(衆)まりは負(−0)にせよ、正(+0)にせよ、とりあえずは量(¬0)となって、存在している。その点ではマンハイムやブルーマーの大衆が変化(堕落か発展かは判別つかないけれども)したと考えることもできる。ただ、直近であるブルーマーの時代に較べたとしても、現代はより選別化が進んでいることは事実であり、いわゆる「集団的選別」にせよ、「象徴的相互作用」(ミード→ブルーマーら)にせよ、その傾向は引き続いているものの、塊の大きさが縮小し、細分化し、かつ見えにくくなっている点が上記、息を詰まらせる根底にある。理由はひとつではないが、今、わたくしがさわっているネットというのもあろう。その前提に、核家族化、少子高齢化などもあるのだろうか。公衆論が、散逸してしまったが、第一に、公衆という考え方がそもそもあるのかということ、次に、あると仮定した場合、現代においては、それを無衆という多勢に置き換えてよろしいものか、また、本来、このような視点で衆という概念をとらえてよいものか、いずれも、まだ、ほとんど分かっていない、わたくしである。ただ、その手がかりを、立ち呑みに求めているだけなのかもしれない。
 ところで、漱石氏は『野分』という作品の中でタルドにふれている。やや長いが、「青空文庫」から引用させていただく。
 『第三に出現したのは中国辺(へん)の田舎(いなか)である。ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。ただ土着のものがむやみに幅を利(き)かして、他県のものを外国人と呼ぶ。外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手を廻(ま)わしてこの外国人を征服しようとする。宴会があれば宴会でひやかす。演説があれば演説であてこする。それから新聞で厭味(いやみ)を並べる。生徒にからかわせる。そうしてそれが何のためでもない。ただ他県のものが自分と同化せぬのが気に懸(かか)るからである。同化は社会の要素に違ない。仏蘭西(フランス)のタルドと云う学者は社会は模倣なりとさえ云うたくらいだ。同化は大切かも知れぬ。その大切さ加減は道也といえども心得ている。心得ているどころではない、高等な教育を受けて、広義な社会観を有している彼は、凡俗以上に同化の功徳(くどく)を認めている。ただ高いものに同化するか低いものに同化するかが問題である。この問題を解釈しないでいたずらに同化するのは世のためにならぬ。自分から云えば一分(いちぶん)が立たぬ。』(初出1907、明治40年)※下線は、筆者が加えた
 タルドの公衆論のもととなる「模倣(の法則)」を同化と置き換えているけれども、これを間接(三段論法)的に解せば、公衆=同化という明晰な答えが返ってきたことになる。翁は1900年にイギリスに渡っており、公衆を厭というほど?体感したのであろう、白井道也(しらいどうや=野分の主人公)にとっての第三赴任地である中国地方の辺地は英国と取り替えてもよいかもしれない。100年経過した今でも、そう(公衆≒同化)考えれば、分かりやすい。やはり、公衆というのはある一定のルールを介在すれば成り立つコトなのであろうが、裏返せば、ルールなしでは存在しないことなのであろう。たしかに立ち呑みにおいても、上記?〜?に反するお客様も少なくないし、お店自体、そういうことを求めている風でもなく、ただ、物珍しさ、目新しさ程度の考えでもって営んでいる場合も多い。
 公衆というコトにこだわってみたけれども、いまだ糸口さえ見えていない、勉強が足りないうえに、しようと心がける力が弱いのだから致し方がないことかもしれない。加えて、関連する書物をすべて通読しているわけではなく、こちらもまた、足を攣りながら、立ち読みしている程度に過ぎないのだから、以上のことは、やはり、酔っ払いの戯言として、はいはいと聞き流していただける奇特な方(も、そう思われるかもしれないけれど)以外には、公衆道徳に外れた話なのであろう。