夢・現

 所用で出かけた「みなかみ町」、旧水上町新治村そして、月夜野町が昨年10月1日にあわさった名が上記である、群馬県土の1割以上を占める大きな町にもなった。JR上越線「後閑(ごかん)」駅に初めて降り立ったが、発駅にて乗る時点から、おそらく、そこには所用開始までの時間を潰す場所もないのかもしれないという危惧と、ま、一軒ぐらい喫茶店でもあるのだろうという気楽さでもって、午(ひる)前に時折り降る小雨の中、駅前に立つと、一瞬、危惧が広がったけれど、ふと、右側をみると、どうやら、杞憂に終わる気配となる建物を見つけた。ドイツコーヒーの店「夢」とある。20060601202738.jpg

 模様の異なる左側がコーヒー店の入り口で、隣は2階が美容室であるという案内があったけれど、よく分からない。恐る恐る二重戸の奥に進むと、無人の店内は一間ばかりの幅をより狭くして、両側、天井、室内全体に、あとでお聞きすると、ご主人がドイツに行った際に買い求めていらした品々で満ちている。4人掛けの木机が3卓、しばらくすると、二重目の扉を開けて、ご主人が。いらっしゃい、(珈琲ください、と、わたくし)ドイツの珈琲は、と、三種類ほどのメニューを教えていただいて、わたくしは甘党であるから、ヴィエンナ風のメレンゲをかぶ(冠)せた濃〜いのを注文すると、少し、経って、大振りのカップが供せられた。が、スプーンも、砂糖もなく、「口の周りを真っ白にさせながら、飲んでください」と、ご主人はわたくしの座る真ん中の卓の奥にある卓に、余った?珈琲をデミタスカップに入れたようで、それを持って、座られた。では、と、口をカップに近づけると、芳ばしい香りが、そして、一口。甘〜い、しかも、わたくしの好みに近〜い甘〜さ、ご主人は、客の顔、なりを見て、甘さ判断でもしているのだろうか。あとで、もう少し珈琲が残っているので、と、厨房に入り、戻る際、砂糖入れていきますよ、と、砂糖ケースからカップに入れている様が見えたが、いかにも適当なのであるけれど・・・。でも、甘さは、やはり、わたくし好みになっている。聞くと、八十路を迎えたというご主人はドイツ珈琲に魅せられて何度か訪ね、ついでに、店内の主役ともなっている各種民芸・調度品を求めてきたそうである。戦後、焼き尽くされた東京を諦めて、在所近くのこの地に移り、いつころから、この店を始めたという、ずっと、東京へ戻りたい(ご本人は東京生まれ、親戚を頼って、こちらに来られた、当時の東京では、もう、生きる術が見つからなかったと仰言っていた)、そう想うばかりで、今日まで至った、今でも、戻りたいけれど、東京はずいぶん変わっただろうから、もう、無理だろうかねぇ、と。半端な生き方しかしていない、わたくしには、応えはない。たった、40、50分、滞在して、所用地に向かう。去りがけに、ご主人が、農家の人から三つ葉をもらったので、少し持っていきませんかと、帰りに寄ってくださいと言われて、(ああ、もう一度、この時間、空間に、そして、この方と浸りたいなぁ)と、約束して、激しく降る雨の中、すぐ近くの所用場所まで。一時間後、浸っていた。二度目は、ビールを頼んだ。絶品だった。甘党のわたくしだけれど、黒ビールが甘いのは×、大根をスパイラル状に設えて(そうなるようにしてくれる機械があると教えていただいた)、塩で漬けたという肴が美味しい。失念して、その名を憶えていない、「ドイツ、大根、くるくる」でネットに頼ったけれども、探しきれない。
 乗るべき列車の時間まで、楽しいお話をうかがっていた。たった、二時間(二度で)足らずではあるけれど、その日、翌日、帰りの列車の中、そして終着駅に降り立っても、その時間が夢の中としか想えない。確かに、忘れないようにと、水気を切らさないようにと気を留めていた三つ葉は、その「こと」が現であることを証明しているけれども、その三つ葉さえ袋ごと、なんだか、宙に浮いていくような危うい軽さでもって、結局、全てが夢のような気分へとなってしまう。
 不思議な。