火の国、通りすがりの記?(ろ)

 露天を堪能し、すっかり温まった身体でもって、組合事務所へ戻る。これから、熊本行きのバスまでざっと4時間はある。食事は軽く、事務所前の豆腐料理屋さんで湯豆腐と田楽(豆腐+蒟蒻)、定食もありますが、と言われたけれど、もう、これだけで十分、何しろ、今朝も由布院の宿で食べている。調べてみると、由布院の年間観光客数は400万人(旧湯布院町)、一方、黒川は所在する南小国町全体でも45万人、ヒトケタ違っている。ちなみに両町の人口は南小国が5千人弱、湯布院は12千人(合併前)、それぞれの観光客数を365日で除すと、黒川(南小国町)は1200人、由布院湯布院町)は11000人、単純すぎるかもしれないけれど、自分が住んでいる町で二人にひとりが観光客というのは、やはり、わたくしであったら、その町に住みきれないだろう。
 さて、4時間である。食事後に、少し明るさも見えた空を頼りに温泉街を歩いてみた。坂の多い、国道(バス停のある)から緩やか、そして、時折急となって、組合事務所あたりまで下ってくるというのが、大雑把な黒川の地形であるが、事務所の裏にはさらに急峻な坂道があり、その窪んだ土地に、宿やお店が並んでいる。途中、お地蔵さんが祀ってある場所まで下りてくると、その正面にあったのが、下の町湯である。もう、記憶があいまいであるが、前の祠にちなんで地蔵湯だったかと思う。念のため、調べてみると、黒川温泉の発祥はここにあった。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より)・・・組合事務所で買った絵葉書の中にも地蔵様の図柄があった。その事務所内に無防備のままリュックごと置いてきたので、急いで、戻り、午前中うかがったお宿でお風呂にでも(卑しい心がけであるが)と思い、そこ(事務所の売店)で買い求めたタオル(手ぬぐい)だけを持って、再び、お地蔵さんに向かった。
[地蔵湯前景]
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 地蔵湯は本来、黒川の地元の方のお風呂であり、それ以外の方は午後7時以降、ご遠慮くださいと、その旨、入り口に記されていた。みると、100円コインがちょうど納まる程度の切り込み口があって、強く押して入れてくださいと、かなり年季の入っている様子で、無い力をふり絞ると、つ、つぅ、さぁっ、と、その先の自動ドアが横に滑ったので、いつ閉まるとも分からないので、あわてて、中に飛び込んだ。(今回の旅は飛び込んでばかりいる)右が女性用、男子は左に、すぐに下足場があり、住民以外は、ここで、もう100円、設置してある箱に入れる。自己申告制である。夕方が近く、内部は照明もついていなかったため、多少暗いものの、お風呂に入るのに明るさは要らない、素足になり、浴槽とは数十センチも離れていない、長・細い(狭い)脱衣所へ。先客はなく、結局、出るまで、隣の女湯のほうに会話の調子からの推測でしかないけれど、地元の人らしい二人組みが入ってきただけ、その時、ぱぁっと、天井から明るさが降りてきた。最初に入った者が電灯を点けるらしい。
[地蔵湯の中?、脱衣所と浴槽が近い!]
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 浴槽は上下あり、原泉がなみなみと注ぎ落ちている写真手前が上、注意書きに下から入ってくださいと書いてあるので、素直に従い、とりあえず、飛び込む。露天風呂と違い、身体も建物の内部に入った時点から、その籠っている湯気でもって、慣らされているものだから、浴槽内の湯の温度を冷静に感じとることができる、「かなり熱い」。ぬるま湯育ちだからだろう、わたくしは熱いお風呂が苦手である、短い時間身体を沈めるだけで、残りは浴槽の縁でもって、足湯状態を維持するのが精一杯であった。
[地蔵湯の中?、奥が下湯、手前が上湯]
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 下湯がその程度の熱さである、上湯はと思い、手でもって、確かめてみた。度を超えていた。それでも、せっかくだから、と気をふり絞り、飛び込む・・・秒速でもって、飛び出した。それほどの熱さである。すっかり熱さにめげて、それでも、身体のほうも、すっかり温められており、帰り途は、湯気を出しながら、事務所まで戻ることができた。
 前回、「火の国、通りすがりの記?前半(ぃ)」でもふれたことであるが、由布院といい、黒川といい、急激な観光地化(=外来客の増加)が、そろそろ、二つの温泉場に、ボディブローを受けるような遅く、しかし確かなダメージとして、さまざまな問題が浮きだし始めているようだ。まったくの通りすがり、通り過ぎの、わたくしのようなものが言うことはないのであろうけれど、鄙びた温泉地が評判となり、いつのまにか、荒らされて、その結果、温泉地が鄙びてしまってはならない。ただ、その足音が、少しずつだけれども、近づき、迫っているような、まことに非礼なことだけれども、そういう風に、バスまでの2時間あまりを過ごした事務所界隈の気配からも感じられた。
 これから、阿蘇を経て、熊本城下に入る。ただし、今夜は、通り過ぎるだけ、明朝、再び戻る予定でいる。