ある湯治場

 今週は九州にお邪魔していた。そのことを書こうと思っていたけれど、昨夜、ニュースで知った温泉地での雪崩事故のことを書きたい。昨年暮れ近くにおうかがいしたところである。とても人あたりの柔らかい、そして東北人らしい奥ゆかしさをもつ、ご主人と向かいあって、お話していると、こちらの卑しさばかりがめだっていた。この宿では広大な敷地内に積もる雪のほとんどを自己負担で除かなければいけない、今走っている道路もそうなんです、と、最寄りのバス停まで送ってくださった途中、ご主人からお聞きした。その日もまだ雪はふりやまず、車を出されるときに、今夜、これ(数十センチ)と同じぐらい積もるでしょうと、すでに10何年ぶりの雪だと仰言っていた。後日、ニュースで数十年ぶりと聞いて、案じていた。これは同じ旅行中にほかの方から聞いたと思うのだが、根が固まらないうちに容赦なく上に積もっているから危険な雪だそうで、それほど今冬の雪は拙速な降りかた、積もり具合らしい。除雪にかかる手間は個人旅館としては相当の負担になる、それでも、公(市町村、県、国)は「わたくし(私)」の領域には決して入り込まない、どれほど困っていても、特定に対しては行動を起こさない、といって、不特定、あるいはすべてのことに対して、何か手を出す(行動する)ことも決してないけれど。だから、という風には、わたくしも、そして、ご主人も思っていないだろうが、結果として犠牲者を出してしまうほどの惨事となった遠因には、そのような町(行政)の冷たさがある。お世話になったのに、ご主人には少し厳しくなるけれど、フェイルセーフもいたらなかったのだろう。同じように国(東北森林管理局)も意識していない。この宿は国有林内にあり、住所の一部にその旨が明記されている。以下、毎日新聞Yahoo!ニュース、2月11日13時5分更新分)より引用する…『 同局企画調整室は「現場の斜面は比較的なだらか。これまで雪崩の報告も聞いておらず、危険性の認識はなかった』としている。…一体、これまでというのはいつからのことか、その程度の裏づけを施してから取材記事にしてほしいという苛立ちは横に置くとしても、国は責任の所在および所存を端(はな)からフェイドアウトしている印象である。
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 これは異なる話だけれど、相変わらず詐欺あるいはそれまがいの商法にかかる高齢者の方が後を絶たない。みな、口をそろえて、「老後が不安だから」(つい、手を出した)と報じられている。そもそも、だから(困らないように)、国というものがあるのではないのか。いったい、何のための国なのか、そろそろ考え直さないと、わたくしたち大衆(まだ検証中であるけれど)は、いつまでたっても雪崩や詐欺に遭う運命にあるのだろう。青っぽい考え方であるけれど、その青物も、いつかは成果し、赤く熟し、そして、いつのまにか黒茶けて、落果していくけれど、(本冬のように)時として脅威ともなる自然はしっかりと、受けとめてくれて、青い果実も安心して、老後を迎え、土に還ることができる。比して、国というものには一切その考えがない。『国破れて、山河あり』、杜甫の時代と今では事情は異なるものの、状況は変わっていない。
[関連拙ブロ/みちのくに(05年2月23日付)]