くーす

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  冒頭のサンタ模様に包まれた中身はX’の夕方過ぎに開いているかどうか案じながら、角の看板の灯りが、そのことを示していて、ほっとしながら、山羊料理屋さんの戸を開けて、そこに、今、お帰りになろうとしていた常連客の方で、もう何度も興味深いお話を聞かせてもらっているNさんから、前々日か、隣り合わせて呑んでいるときに、ちょっと呑んでみてくださいといって、次回持ってきますからと仰言られていて、同時に、これも見てくださいと言われていた「いろは琉歌」とともに、そのとおり、持ってきてくださった泡盛の古酒(クース)である。Nさんらしいお心遣いでもって包まれた封を切るのが惜しくて、写真に収めてから、ひと注ぎを、ロックで呑んでみた。ラベルには15年ものとある。普段は水割りにしかしないので、冒険でもある。ふっと、甘い香りがして、ちょっと、不安になった。案の定、口の中に不快な味が残った。一口でやめて、水を加えた。まだ、違和感が残っている。これまで呑んできたものと、決定的に異なるのは、この「あとひき」の感覚、味覚である。古い(熟成された)ワインを飲むと鉄錆あるいはオガクズの味がするといわれるけれど、そのような引き具合とも異なっている。Nさんは、わたくしに、この古酒を託す際に、どうも、しっくりこないので、一度、呑んでみてくださいと言われた。託された、わたくしは、単なる呑んべぃにすぎないので、Nさんが期待されているような答えを返すことは到底できないけれど、泡盛は味わうものではない、皆で楽しむもの、そういうことをNさんが仰言りたかったかどうかは分からないけれども、書いている際中にも、氷が溶けていくことで、本来の「楽し味」にちかづいてはいる。おそらく15年の歳月を、昨夜こしらえたばかりの氷が稀釈しているのであろうが、それですら、どうも、しっくりとはしていない。そのことを邪道だと言われても仕方がないが、もともと二級酒好きのわたくしに純米酒が合わないようなものなのだろうか。あてもなく、盃を重ねているものの、Nさんへの返盃の術は見つかっていない。