ぺったり、ぺったら(泉鏡花→芥川龍之介)

本日は、青空文庫から。
芥川龍之介氏を弔ふ』(泉鏡花
 なお、原文から、括弧書き(ルビ)を勝手に除いて、引用した。※泉鏡花は全著作にルビを付したらしいが、全ての著作を読んで(眺めて)いないので、確認はできていない。

《玲瓏、明透、その文、その質、名玉山海を照らせる君よ。溽暑蒸濁の夏を背きて、冷々然として獨り涼しく逝きたまひぬ。倏忽にして巨星天に在り。光を翰林に曳きて永久へに消えず。然りとは雖も、生前手をとりて親しかりし時だに、その容を見るに飽かず、その聲を聞くをたらずとせし、われら、君なき今を奈何せむ。おもひ秋深く、露は涙の如し。月を見て、面影に代ゆべくは、誰かまた哀別離苦を言ふものぞ。高き靈よ、須臾の間も還れ、地に。君にあこがるゝもの、愛らしく賢き遺兒たちと、温優貞淑なる令夫人とのみにあらざるなり。
 辭つたなきを羞ぢつゝ、謹で微衷をのぶ。昭和二年八月》

 芥川は1927(昭和2)年7月24日に亡くなっている。
ちなみに生まれたのは1892(明治25)3月1日、上記弔い文を寄せた鏡花は1873(明治6)年11月4日〜1939(昭和14)年9月7日だから、彼のほうがずいぶん年上ということである。しかし、最大級の辞でもって、芥川を送っていることが文章のはしばしから分かる。微衷とは、今ではもうすっかり聞けなくなった言葉であるとおもうが、鏡花にとっては哀悼の意として、これ以上の表現はなかったのかもしれない。別の資料によると、この辞は谷中斎場における葬儀にて読まれたらしく、弔問客は1,500余名(芥川歴史)[芥川龍之介ファンページより]、ただし、他の資料ではその半分の750名という記録もあるが、何人かなどはどうでも良いことであろう。鏡花の代表作『高野聖』は読んでいて、なんだか、身体中がムズムズしていくのが分かり、それでも、ソッチ(鏡花)の世界へと誘われていくのが、同時に感じられる。わたくしは全般に虫(むし)が嫌いなので、読んでいて、抛りだしたくなるような感情を抑えながら、それでも抛ることのできない魅力に、虫酸が走るという表現があるけれども、鏡花の文章では、走らないで、虫酸が歩くような《ぺったり、ぺったら》とした得体のなさを感じていたのであるが、芥川への文章には、それらしさが感じられず、ただただ、感銘、得心するばかりである。もっとも、『城崎を憶う』のような作品もあり、それはそれで堪能するのであるが、只今は、青空文庫で、泉鏡太郎名でお書きになったという『蛇くひ』という短かい作品を、おそるおそる、時間をかけて、ルビ付き(ただし、単語のあとに括弧書き)のまま、ぺったり、ぺったらと、眺めている。