VOA(那覇周辺訪問雑記NO5)

 山羊料理屋さんで2日連続でお会いした常連客さんから25年前に来たという、おくまビーチに行ったという、わたくしの言葉に返ってきたのが標題のVOAのことである。VoiceOfAmericaは、今でもラジオ放送が世界中を駆け巡っており、当時は、FENとともに、生きた英語を聴取する手段として重宝したようである。(わたくしには、まったく、役に立っていないけれど)ただし、先のお客さんが言われているのは、テレビ放送のことである。25年前にオクマを訪ねていたら、きっと、憶えているのではないかと、当時、流れていたVOAテレビについて聞かれたのである。確かに、ホテルの部屋でテレビをつけると、ホームドラマかなんかが映っていた。今はもうないと教えられた。翌日、入ったカフェで新聞のテレビ欄をみると、確かになかった。改めて、VOAのサイトをみると、テレビ欄も、ラジオ欄とともに見つけた。ただ、どのように視聴できるのか、わたくしの語学力では解明は困難であるので、そうそうにあきらめた。日本国内では、OKINAWAのほかに、MISAWA、IWAKUNIでもテレビ放送があって、実際にみたという記憶が、わたくしの中にある。ただし、保証はできないが。同サイトの案内によると、現在、100カ国、50言語ぐらいで放送しており(ラジオ)、インターネットによる放送もあるようだ。アジア、アフリカおよび中東の国に多く、アラブ系文字がめだっている、というのは穿ち過ぎなのだろう。日本語はもともとないのであろうか、そもそもVOA自体、プロパガンダの意味合いが濃く、今更、従順なJAPANに、人と金をかけて、日本語ヴァージョンを流す必要もない。先の常連のお客さんが仰言るには、今では、沖縄でも、VOAテレビがあったことを知っている人が少なくなったそうだ。したがって、同雑記(ブルーモニュメント)8月23日付に「那覇で変わったのは、日本最南端の駅ができたことと、未曾有の沖縄ブーム」と書いたけれども、新たに、VOAテレビがなくなったことも加えておかなければいけない。今、那覇には、わたくしが日常的にみかける本土仕様のお店がふえている。そのことを否定するつもりはないけれど、もし、ずいぶん街の風景が変わったなぁという空港を出た最初の印象だけでもって、とらえると、那覇(沖縄)も変わりつつある、という薄っぺらな考え方になってしまうのだろう。時が移り、人も変わり、記憶も溶かされていくのだろうか、いや、そうは思いたくない、ここだけは、歴史の積み移しで構わないから、包む心という礎でもって、これからも、あり続けてほしい。
 ひとまず、那覇周辺訪問雑記はおしまい、泡盛漬けの、わたくしの旅行(VacationOnAwamori)も、いったん閉じる。
[The Voice Of AmericaのHPです]
http://www.voanews.com/english/portal.cfm