R・キャパと郷土資料館(那覇周辺訪問雑記NO3)

 下船時に閉まっていた渡嘉敷村郷土資料館(正確には民俗歴史資料館)を、帰りの船に乗る前に念のため、戻ってみた。幸いなことに開館していて、中に受付のご年配の方が一人でいらした。ゆっくり見ても15分程度と値踏みをして、十分船の時間に間に合うので、客は他に誰もいない館内に。漁具や家庭で使われていた日用生活雑貨などに混じって、何故か火鉢があるので、顔を寄せて、説明書きを読むと、暖ではなく、煮炊きに用いていたと記してある。振り返って、受付の方に確認すると、ふふと笑って、「それは金持ちの道楽みたいなものです」と解説してくれた。渡嘉敷のような南国に火鉢があるのは、焼尻(北海道の離島)で冷房器があるようなものである。(実際にはあるだろうけれど)なかなかの洒落っ気をもった御仁がいたのだろう。四方形の部屋を壁にそって三辺目を見ているとき、ふと、展示物の置かれている上方の壁に写真があることに気づき、慌てて、元へ戻って、見上げた。「米軍戦車に轢かれる日本兵」(だったか?)という題のついた写真には手前で斃れる兵士には目もくれず、前進していく米軍戦車が映し出されている。
 以前、映画かドラマで、防空壕に潜む人たちの風景が描かれていて、じっと、米軍兵の監視から避けるように、声を潜んでいたところ、乳飲み児が泣き出してしまう。「泣くのをやめさせろ」と誰かが強く言うが、母親も暗い、そして、周りがピンと張り詰めた雰囲気の中でいったん、ぐずった子を止めることはできない。それでも、周囲からは米兵に見つかってしまえば皆殺しだぞ、と、言われ、母親は子供を永遠に泣けないよう始末してしまう。そういうような映像が、わたくしの記憶の中に今でも残っているが、「防空壕から出る母子」は乳児の泣き声でもって米兵に見つかってしまい、壕から出る母子をとらえていた。中には(泣き声をとがめるような)他に誰も潜んでいなかったのだろうか、あの子はそのあとも元気な泣き声を発していたのだろうか。ロバート・キャパという著名な写真家がいる。スペイン内戦(1936〜39年)の際、撮られた「崩れ落ちる兵士」(36年9月)は世界を震撼させた。その衝撃と同等あるいはそれ以上の想いを館内の写真にもちながら、軽く会釈して、船着場に戻った。わたくしも、戦争を知らない世代である。ただし、この場合の戦争は第二次戦争(まで)という限定付きであり、その後の、多くの戦争のことについては知っている。しかし、これらも、リアルタイムに体験している類のものではなく、すべてが外からみているのであり、殊に最近は過度に演出された戦争映像を「体験」しているにすぎない。もちろん、わたくしが見た渡嘉敷島での写真も、単なるヴァーチャル体験でしかないのであるが、海の青とともに、しっかりと刻みつけてきたつもりである。