鵠(くげ)沼雑記

 青空文庫によると、標題の作品が遺稿だと記されている。同文庫同作のファイル文末に「一五・七・二〇」(遺稿)とあって、別の全ての?芥川年譜には1927年7月24日歿とあるから、前者(大正15年)と昭和2年、ほぼ1年後のことである。「鵠沼を語る会」というサイトに芥川の鵠沼往来のことが記してある。これによると、氏が初めて鵠沼を訪れたのは1910(明治43)年8月7日、龍之介18歳の時であるらしい。《親戚の別荘に滞在中の友人を訪ね、滞在する》とある。そして、鵠沼に居を構えるのは、その間、和辻哲郎、谷崎純一郎らを訪ねることはあったけれど、東屋滞在の26(大正15)年2月下旬以降と考えることができる。その半年後に書いたのが雑記である。短い文章であるが、その中に時間・空間の混在が多くみられることが特徴的である。拙ブログ8・5付「翳と影」でふれた同氏作の「影」にもそのような混在はみられるが、それについては文学作品上の術として読むことができるが、雑記に関していえば、もはや、そのような気分でいられない空気を感じる。「影」は1920(大正9)7月14日であるから、この間の数年はアクタガワにとって翳の時代だったのか、それとも、月(光)の時代だったのか、まだ、判断はつきかねる。今、鵠沼の近くに、わたくしはいる。明日は東屋付近も通るだろう、もう芥川や多くの文人等が逗留した旅館はその址に記念碑しか残っていないらしいけれど、寄り道して、齒イシヤを探してみたい気もする。
[鵠沼を語る会/鵠沼地区文化史年表]
http://kugenuma.sakura.ne.jp/02-07.html
[青空文庫鵠沼雑記/芥川竜之介氏・著]
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2328_13465.html