毎日が、行商専用車

 拙ブログ「水な月」(6・3付)で京成電鉄行商専用車にふれた。まだ、実物を見ていないけれども、想像(妄想)ばかりが膨らんでいる。やはり、一度、見ておくべきなのかもしれない。
 行商というのは、どの範囲までをさすのだろうか、パッと浮かぶのは、富山の薬売り、ろばのパン屋、今風ではお昼時になるとオフィス街にどこからか出動してくる弁当、カレーなどの類を売りに来る車両などである。東京都健康局・保健所が発行している資料の中に「自動車・移動・行商関係営業許可申請等の手引」というのがあったので、これをもとに考えてみる。まず「行商」とは「食品(缶詰食品、瓶詰食品及び容器包装詰加圧加熱殺菌食品を除く。)を人力により移行しながら販売(不特定又は多数の者に対する販売以外の授与を含む。)する形態のものをいう。」とある。ウム、相変わらず表現が分かりづらいので、簡略化すると、缶詰・瓶詰・レトルト類以外の食品を人がある場所まで運んで販売する、ということらしい。重点は「人力による移行」にあるのだろう。残る3業はいずれも、非人力によるものである。ちなみに食品営業自動車は上の「昼時突如出現車両」が該当し、食品移動販売車はろばのパン屋さん、また、移動営業(引車)の極めつけは屋台であろうか。上記資料は食品衛生行政のため、全て食品に限られているが、富山の薬売り(正確には配置売薬)も人力移行であるから、行商と位置づけられよう。食品や薬に限らず、以前は多くの販売が行商あるいは、それに似た形態で行なわれるのが一般的であったように思う。今のように立派なショッピングセンターや便利なコンビニがなかったのだから、また、売る側からみても、自らの商品を町場の小売店や消費者に届けてくれる術もなかったので、いわゆる相対(差し)の商売が当たり前だったのだろう。行商、屋台以外にも露店、立売、旅商などがアチコチで機能していたはずである。範囲を広げるときりがないが、廃品回収、豆腐屋なども人力移行でないにせよ、行商であろう。これから夏にかけて登場する金魚売りや風〜鈴売りも、また、冬の焼き芋屋(夏は氷屋)もれっきとした行商であろう。ここまで、広げると、要するに、「昔は売り手が買い手のところまで来た」が「今は買い手が売り手まで出かけていく」という売買活動(行為)の逆転化現象という、つまらない結論になりそうであるが、仮にそうだとしても、これからの高齢者社会をにらめば、行商ビジネスがいかに重要かがみえてくる思いもする。
 行商専用車はまだ見ていないが、サラリーマンの方たちに眼を転じてみると、皆、毎日、自分の身を売りに通勤しているのだから、行商人となんら変わりがないとも考えられる。したがって、ほとんど例外なく、朝と夕の通勤電車は行商専用車と定義してもよいのかもしれないので、まだ見ていないというのは現実と異なっているのだろうか。わたくしのように不定期に乗車する者は、そのような車両に乗る資格はないから、せめて、時間をずらして、皆さんの邪魔にならないようにしたいとひたすら思うばかりである。
[自動車・移動・行商関係営業許可申請等の手引](東京都)
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/kyoka/leaflet-kyokatebiki021107_2.pdf