手オル と タ(ta)拭い

 お風呂に浸かったあと、バスタオルでお湯気を拭っている時に、思い出すのだけれど、西洋人というのは、さすがにバスタオルの使い方が巧い、遣いこなしているという感じでタオルを駆使して、身体を身ぎれいにしている。わたくしなどは、拭いたつもりでもアチコチを濡らしたままの状態で、そのことは、いつまで経っても、進歩がない、今もって、バスタオルをこなしていない。
 タオルはスペイン語のトアーリャ(Toalla)かフランス語のティレール(Tirer)からきた言葉だそうで(四国タオル工業組合HPより)、もともとは浴布といった意味であったが、今ではハンドタオル、フェイスタオルというのもあるから、普及していくうちに、用途が広まっていったのであろう。一方、日本には「風呂」敷というのもある。風呂敷は、文字通り風呂に敷くことから「風呂敷」と呼ばれた。『語源由来辞典』によると、《室町時代の風呂は蒸し風呂のようなもので、蒸気を拡散させるために「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていたものが風呂敷の起源であるが、現在の「風呂敷」にあたるものは「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていた。足利義満が大湯殿を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りにはこの絹布の上で身繕いをしたこという記録があり、これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。江戸時代に入り、湯をはった銭湯が誕生し、衣類や入浴用具を四角い布に包まれるようになったのが、現在の風呂敷に最も近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから、「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。銭湯が発展したのに伴ない、江戸時代の元禄頃から「平包」に変わり「風呂敷」の呼称が一般に広まっていった。》とある。
 昔の絵をみていると、お風呂から出た衆がバスタオルで身体を拭いている光景はなかったように思うし、第一、わたくしが小さい頃には銭湯へ行くにも手拭い一本で出かけていたように思う。(これは学生時代、安アパートには当然ながらお風呂はないから、銭湯へ通っていたが、その時も変わっていなかった)しかし、正確に言うと、小さい頃のは手拭いで、木綿のサラサラとした鉢巻にもなるものであったと記憶しているが、学生時代のは、今のタオルであったと思う。
《団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭(あかてぬぐい)と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及(およ)ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛(でかけ)る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染(そま)った上へ、赤い縞(しま)が流れ出したのでちょっと見ると紅色(べにいろ)に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。…》
 長い引用であるが夏目漱石の『坊ちゃん』の一説である。彼が持って(ぶら下げて)いるのは手拭いではなく、タオルではないだろうか。その頃には、もうタオル(西洋手拭)があったのだろうか、今一度、四国タオル工業組合に戻ると、タオルが日本に持ち込まれたのは明治5(1872)年とあるから、同作が書かれた明治39(1906)年には、あったわけである。とすれば、わたくしの記憶にある晒し木綿の手拭いは錯覚なのだろうか?いや、あの方(N氏)はハイカラだから進んでいて、わたくしのような、田舎育ちの人間はおそらく、昭和の時代でも手拭いを使っていたのだろうと、思うことにしておこう。
 『三四郎』にも西洋手拭(タウエル)が出てくる。これは、坊ちゃんより、はるかに印象的である。
三四郎はついと立って、鞄の中から、キャラコのシャツとズボン下を出して、それを素肌(すはだ)へ着けて、その上から紺(こん)の兵児帯(へこおび)を締めた。それから西洋手拭(タウエル)を二筋(ふたすじ)持ったまま蚊帳の中へはいった。女は蒲団の向こうのすみでまだ団扇を動かしている。
「失礼ですが、私は癇症(かんしょう)でひとの蒲団に寝るのがいやだから……少し蚤(のみ)よけの工夫をやるから御免なさい」
 三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布(シート)の余っている端(はじ)を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。そうして蒲団のまん中に白い長い仕切りをこしらえた。女は向こうへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に細長く寝た。その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかった。女は一言(ひとこと)も口をきかなかった。女も壁を向いたままじっとして動かなかった。》
 翌朝、別れ際に《あなたはよっぽど度胸のないかたですね》という件(くだり)ばかりに気を取られて、うっかりしていたが、三四郎の西洋手拭は、坊ちゃんの西洋手拭の大きな奴とは種類がもしかしたら異なっているのかということに、先ほど読み返して、悩んでいる。何しろ、蒲団一枚を半々に割って、そこへ2枚広げても狭いというのが「三四郎」のモノ、対して「坊ちゃん」は大きな奴といっている、単純に読めば、三四郎<坊ちゃんと理解できる。しかし、西洋手拭の大きい奴というのはバスタオルのことなのか?とした場合、バスタオルをぶら下げて、お風呂に行く者がいるのかという新たな悩みが生じてしまった。…それとも、三四郎のは今でいうハンドタウエルか、あるいはフェイスタウエルか?
 再び、四国タオル工業組合に戻る。同HPにタオルの種類という項がある。まず、三四郎のタウエルを検証すると、男ひとりが二枚使って、狭い思いをするとあるから、以下のような推測をしてみた。ちなみにサイズは幅×長さである。
×タオルハンカチ
(15cm×15cm〜40cm×40cm)タオル生地を使用したハンカチ。ポケットに納まるサイズです。
△スポーツタオル
(15cm〜45cm×100cm〜130cm)汗をふき取るのにちょうど良い幅のタオルです。大きいサイズのものはシャワー後にバスタオルとしてご使用ください。
×おしぼりタオル
(28cm〜34cm×35cm〜42cm)食事前のお手ふき、汗ふき、キッチンクロス、テーブルふきなどにどうぞ。
○浴用タオル
(33cm〜36cm×80cm〜90cm)背中を楽に洗うことができる少し長めのサイズです。すすぎが簡単で、絞りやすい少し薄手のタオルです。
△ハンドタオル
(40cm〜50cm×75cm〜100cm)手や顔をふくのに便利なサイズです。フェイスタオルより幅広く、厚めに織られています。
×バスタオル
(50cm〜75cm×100cm〜130cm)シャワーや入浴後に体の水分をふき取るために使います。
×ワイドバスタオル
(75cm〜100cm×130cm〜200cm)体を包んだりふいたりできる余裕のサイズです。海辺やプールでの敷物や、お昼寝の肌がけにしても便利です。
×タオルケット
(130cm〜230cm×180cm〜280cm)保温性や通気性、吸水性に優れたタオルの特性を活かした寝具です。肌触りの良さを実感してください。
………………………
 わたくしの動かない頭うちでは、以上のような結果である。浴用かハンドかということになる。スポーツというのも△であるが、これはサイズから、そう評価しただけで、あの頃はなかっただろうと思うので、候補から外した。ちなみに手持ちの浴用を試してみたが、いかにも狭すぎる、この狭さが、どうも三四郎の心情にあっていそうなのである。とはいえハンドの疑いも、まだ、晴れていない。
 女と別れて、再び東京に向かう三四郎が車内で本を読もうとしたところ、ズックの鞄(かばん)を開けると、《昨夜の西洋手拭が、上のところにぎっしり詰まっている》とあるが、他に大きな行李は新橋まで預けてあるからと記されているから、ズック鞄はせいぜい手提げ程度の大きさ、まさかバスタオル級をぎっしり詰めているとは思えない。ハンドタオルなら詰められるかと思うので、その疑いも否定できないけれど、ここに、坊ちゃんの「大きな奴」を加味すると、どうやら、決着がつきそうである。
 ところで、わたくしが普段使っているバスタオルは表に意匠(デザイン)かなんかがされていて、裏は無(白)地(織りのまま)というであるけれど、その場合、いったい、どちらで拭くのが正当なのか、未だに、分からず、結局、裏表、返し返し使っているけれども、果たして、何か、正解、作法みたいなものはあるのだろうか。四国タオル工業組合HPにも、そのことはふれていないので、もしかしたら、もう、どちらを使うかは常識なのかもしれないが、わたくしには依然、謎のままである。
…………………
青空文庫三四郎を読みいってしまった。そのことは、近いうちに、タウエルとは関係ないことで書きたいと思う。

四国タオル工業組合HP]
http://www.stia.jp/navi/history/index.html
[語源由来辞典]http://gogen-allguide.com/hu/furoshiki.html
[坊ちゃん](青空文庫)…3章(節?)の後ろの方
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html
三四郎](青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/794_14946.html