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 メーデーというと、たまたま旅行中に滞在していたブダペストが想い起こされる。当時(87年)は、まだ社会主義体制にあり、形骸化した日本のそれとは違い、大規模な集まりなのかと思ったが、存外、家族的雰囲気が漂っており、もう、その頃から、《ism》崩落の萌芽があったのかもしれない。もっとも、宿泊先から程近い「英雄広場」が主会場であったが、その時は同広場からつながる市民公園にある温泉がわたくしの主目的だったので、あまり関心を寄せることなく通り過ぎたのかもしれない。あるいは、昼ぐらいに、のそのそと出かけた記憶があるから、もう、式次第は終幕に近かったとも考えられる。
 メーデーは、遭難時の無線電話による信号用語としても、使われている。より、おなじみなのはモールス信号によるSOSであろうが、こちらは現在では一部を除くと使用頻度はめっきり少なくなっているようである。メーデーの語源はフランス語のhelp me(助けて)を表わす「m'aidez」から来ているらしい。
 小納正次さんの「明治期の天売沖 二大漁船遭難事件」を読んでいる。最初の遭難は明治三十五年四月三十日である。暴風により、天売島沖にて漁船八十隻余りが難破し、溺死二百二十名。その朝、鰊の群れが沖合いに認められ、漁夫達は大挙して、向かったが、吹きつける南風にあおられ、漁はままならず、当時、川崎船という簡易な漁船で、到底メーデーと発する術もなく、犠牲となった。気象のことは分からないが、北海道地方の昨日から今日にかけてをみると、北に低気圧、南に高気圧、あの日と同じ、南風が吹いているようで、強風・波浪注意報も発せられている。
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 つい先日の列車事故においてはメーデーを出す間もなく、多くの方々が命を奪われた。時々JRwestのネット予約を使うことから、同社からのメルマガ、正式には「JRおでかけNEWS」も受けているが、昨日夜遅く、今回の事件についてのお詫びと、メルマガの配信を休止するとの旨、伝えてきた。
 確かに、今、GWはどこそこに出かけましょうなどという場違いなNEWSを配信されても、困るだけだが、今回の事故についての情報を都度、流し続けるべきなのではないか、それが顧客サービスであり、なにより犠牲者の声なきメーデーに応える(贖いの)端初なのではないだろうか。