イベリアホテル

 昨日は、ワイン(ツィナンダ〜リ)に眼、鼻、口、舌、咽喉、要するに身も心も全て奪われてしまい、もう一つグルジアトビリシ滞在に関することを書きたいと思っていたが、すっかり、置き去りにしてしまった。グルジアでは、標題のホテルに泊まった。といっても、当時のソ連では、モスクワ、サンクトペテルブルクなど一部の大都市を除けば、こちらから、あ〜あ、どこそこに泊まりたいから手配して頂戴とはいえなかった。全て、アチラ任せだった。ただ、中小都市では外国人が泊まるホテルは限られていて、大抵は、あそこかなと見当がついた。トビリシではイベリアホテルである。確か16階建てで、わたくしは、閑な時期(6月)だったこともあり、15階の角部屋を与えられて、ツィナンダ〜リに、市場で仕入れてきた果物を食べながら、暮れゆくルスタベリ通りを見下ろしていた。昨夜まで滞在していたウズベキスタンの漠とした風景とは全く異なる豊潤(芳醇の方が良いかもしれないが)な大地は、たいへん心地がよく、この1ヶ月あまりの旅行の中でも、ゆったりとした時であった。
 もう、ご存知だろうけれど、このホテルが、内戦の影響で、逃れてきた難民の人たちの避難場所になった映像を初めて見たとき、わたくしは、確かに、自分が泊まった15階角部屋で、洗濯物を干している絵に、ただ、ひたすら、衝撃を覚えた。それは、数年前に、わたくしが、いい気になって、ゆったりとしていた同じ場所、同じ部屋で、今、彼らは、どんな思いで暮らしているのか、少なくとも、ワイン片手に、ゆったりという気分には、とてもなれないだろうな、と、ただただ、それは、偶然のことなのかもしれないけれど、そうだとしても、わたくし自身の中には、割り切れない思いが募るばかりであった。
 もちろん、そういう思いを募っても、それが、単なる傍観者の眼及び気持ちであることには違いはないが、わたくしの中で、納得のいかない事実であることも否定できない。
 ネットを探しても、なかなか最新の情報が得られないのも、やるせない。
 以上、昨日、書くべきことを書かないで、呆けていたことを書き留めておきたい。