おろろん(天売)・おんこ(焼尻)…?

 天売(てうり)島、焼尻(やぎしり)島はわたくしが中学時代、地理の時間中、ろくに教師の話を聞かずに、ひたすら地図を眺めながら、いつか行きたいなぁ〜と、妄想していた土地の一つである。おそらく、地図上で、北海道の西側(西海岸)に、「中途半端」な状態で二つの小島が寄り添うように標されているのが目立ったのだろう。人間の眼というのは精緻にできてはいるのだろうが、意外に視野は狭く、わたくしの場合は、天売・焼尻のような小島や、西の果てなどに「つい」眼が向くようであったらしい。今でもニューヨークにはさっぱり興味はないけれど、スタッテン島だけは当時(中学生)から眼をつけていたので、いつか行ってみたいという気持ちが依然として、心の、どこかに、くすぶっている。
 1997(平成9)年6月に札幌での所用を済ませると、その念願の旅は始まった。一緒に来ていた仕事仲間には何故そこへ行くのか理解しかねるようであったが、わたくしにとっては中学生の頃から思い描いていた二島であり、行くこと自体が重要なことであったが、そういう説明が相手を納得させるだけの答えにはならないと思い、単なる気分転換旅行ということで、さっさと別れて、一人、札幌駅に向かった。ここから二島へ行くには羽幌(二島も行政区分では羽幌町である)までバスで行き、そこで、船に乗り換える。当初、高速道を使わないで、日本海側を厚田、浜益、雄冬(岬)、増毛と通るルートを考えていたが、前年2月10日に豊浜トンネルの崩落事故が起こり、同じようにトンネルの多いこのルートは軒並みトンネルの点検工事が入っており、ルート自体運休されていたのだと思う、したがって、道央道をいったん内陸の深川まで行き、再び海側の留萌に戻るルートで行くことになった。
 バス会社の名前が良い。「沿岸バス」。悲劇的な豊浜の事故がなければ、その名のとおりのルートを走れたのだが、こればかりは致し方ないことである。
 札幌を出る前に、電話で今夜泊まりたいと告げたら、「4人部屋の雑魚寝みたいな部屋で良かったら空いていますが」というので、それで構わないと答えると、バスターミナルまで迎えに行きますからと、電話に出られた奥様がバンで来られた。まだ、仕事着(ネクタイ)のままのわたくしを見て、朝に札幌で仕事仲間が感じたような疑問(何故来たのという)が湧いたらしく、お仕事ですか…と聞かれたが、ここでは、はっきりと、いえ、明日から天売島と焼尻島に行きますと答えるだけで、ああそうでしたか、と、自然に受け容れられた。カフェ&イン吉里吉里はライダー(バイクで旅行している人たち)が主な宿泊客で、 札幌から4時間弱、まだ、陽の残る初夏の国道沿いの宿に、何十キロかの走行を終えたライダーたちが相棒のバイクとともに集いつつあった。もう、わたくしも「4人雑魚寝」部屋に案内されて、仕事着から軽いTシャツ着に替えていたから、彼らからも怪しまれることもなく、こんばんは、と、気軽に声をかけあうことができた。
 数人の宿泊客とともに夕食を摂っていると、大阪ご出身のオーナーが「では、夕陽を見に行きましょう」と、まだ、全て食べ切っていないご馳走を、帰ってから食べれば良いからと、食堂から皆を追い出し、先ほど宿まで送っていただいたバンと他に乗用車を駆り出して、秘密の、そして、もっとも美しいとご主人が自慢するサンセットゾーンに誘ってくれた。幸いに、その日は天候に恵まれ、陽が海に沈みきるまで雲に邪魔されることなく見ることができた。その瞬間だけは誰もが無言になって、おそらく、わたくしが心に思ったのと同じように、ここへ来て良かったと感じていたのであろう。
 翌朝、わざと、高速船でなく時間のかかるフェリーの出港(出航)時間にあわせて船乗り場まで再び送って頂き、お別れとお礼を言うと、アイヌ語で近い方の島という意味の焼尻島を経て、天売島に1時間半かけて着港した。
 天売島に着くと、港の前にある観光案内所でその日の宿を確保すると、迎えの車に乗り、部屋に荷物を置くと、周囲12kmほどの島をぐるりと回ることにした。島は港のある東側から時計回りに歩いていくと、次第に、勾配がつき始め、途中まで、行き交っていた貸切タクシーや島民の車も姿を消していき、ついには誰一人通ることのない狭い道となった。マムシに注意と書かれた看板が随所にある車一台通れるほどの道をひたすら進む。以前、タバコの煙がマムシ避けになると聞いていたから、絶えず吸いながら、また、できるだけ、草むらから離れた道の中央を歩いた。途中、赤岩と呼ばれる島の最西端にさしかかったところで、突然、ガスが発生した。最初は道の下方をひたひたと漂っていたが、瞬く間に、周りを包み込み、視界ゼロの世界に。マムシも怖いが、前に進むこともできず、立ち止まったまま、タバコを吸っているほかなかったが、煙はガスに溶け込んでしまい、効果があるかどうかも分からない。十数分ほどして、ようやく、前に一歩進めるだけに回復すると、ガスは猛速度で、海に吸い込まれていき、たちまち、深い碧色の日本海が見渡せ、見ると、急峻な崖が海面から伸びていた。
 天売島は日本で唯一ウミガラスが棲息する土地である。この鳥は体長数十センチで、立った姿はペンギンに似ている。かつては数万羽が空と海を自由に行き交っていたが、今では年に十数羽しか目撃されないという。レッドデータブックというのがあるが、日本で絶滅の恐れがある野生生物の一覧を示したもので、その鳥類の項目を見ると、ウミガラスは「絶滅危惧1A類 (CR)」(ごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高い種)とされており、すでに存在しない「絶滅 (EX)」(十三種)は別として、それ以上に危惧性の高い種はトキしかいない(「野生絶滅 (EW)」過去、日本で生息していたが、現在、飼育のみで存続している種)。
 港から出た観光周遊船から発せられるエンジンのけたたましい音が、人が数人も入れば一杯になってしまう海鳥観察舎の中からも聞こえてくる。小屋に設けられている望遠鏡で観ると、向かいの崖の合間にわずかにある平坦地に離れていった仲間も呼び戻そうと意図して作られたデコイに混じって、数羽が産まれたばかりの卵を孵化させようとしているのか、立ったままの姿が目視できた。(他の多くの鳥と異なり、巣を作ることなく、裸地に卵を置いて、孵化を行なっている)
 おろろ〜んと啼くことからオロロン鳥と呼ばれる、この鳥は、ロシヤ極東地方でも保護活動が国家的に行なわれている。減少の原因はカモメが彼らの棲息地域を脅かしていることだということらしい。そういうカモメもわたくし達人間に脅かされているというのだから、先ほどの周遊船のことではないけれど、やはりわたくし達があらゆる他の生き物の邪魔をしているのかと、思わざるを得ない。あとから来た観察仲間に望遠鏡を譲って、彼らが本物であることを双方で確認すると、わたくしは小屋を出て、来る時と反対に下っていく道を、途中、漁具置場や地付きの神社を訪ねながら、もとの港に戻った。
 明日はここから2海里(約3.7km)ほど本土に寄った焼尻島に向かう。晴れた海間に見える、その島は、ちょうど、お雛祭りのひし餅をぽんと海に置いたように、のどかに浮かんでいる。

 天売島を訪れた二年後に地元小学校の教師を勤め、退職後、自然写真家として天売島はじめ北海道の野鳥を中心に撮り続けていらっしゃる寺沢孝毅(てらさわ たかき)さんが港近くに自らの作品をはじめとする展示を含めた「海の宇宙館」を開設されたと知った。早速、彼の撮影による天売島の自然を素材とした卓上式のカレンダーを注文した。今では、暦としての実用的な機能は失われてしまったけれど、わたくしの心の暦のひとつとして、捨てずに、手元に擱いている。

レッドデータブックレッドリスト鳥類)
http://www.env.go.jp/nature/redlistS/tyourui.html
海の宇宙館
http://www.teuri.jp/utyukan.htm
寺沢孝毅さんの作品
http://www.teuri.jp/naturelive.htm