百年の計

 先週、書店でお目当ての作品が一部手に入らなかったので、代わりに購入してきたのが『日本奥地紀行』(イザベラ・バード著、平凡社ライブラリー、文庫本、税別1500円)である。
 1878(明治11)年、江戸(東京)から新潟、秋田などを経て、青森経由で函館に渡った3ヶ月余りの旅行記である。ぺらぺらとページを捲っているうちに、ずるずると惹きこまれていき、500頁を、とりあえず、一読した。後半が蝦夷地紀行であり、日数にすると1ヶ月、頁数では180頁。同書の訳者である高梨健吉氏が書かれている解説文の冒頭に、日本研究家として名高いチェンバレンの〈アイヌ人の叙述は特に興味深い〉という言葉(日本事物誌、1890年、明治23年)に、紹介されているように、アイヌの人たちの暮らしぶりを緻密で、かつ優しさのこもった眼と心で書かれており、読まれた方も多いと思う。
 読んでいるうちに、そして、とりあえず、最終頁まで行き着いたところで、気づいたのは、彼女の採ったコースが、主に太平洋側の町々を訪れている点。当然ながらアイヌの人たちへの興味の強さにもよるところが大きいけれど(平取については頁も多く割いている)、当時(今からざっと1世紀前)の北海道には、わたくしが明日、向かうサッポロという町は(事実上)なかったということを改めて感じさせられた。
 札幌市のHPによると、1869(明治2)年に開拓の手が入ったと記されているが、それより、たった9年後に函館に上陸しているバード女史がサッポロという存在すら知らなくて当たり前だし、行く理由もなかったのだろう。
 箱館にはペルリ提督が1854(嘉永7)年に来航している、また、それより半世紀も前には大黒屋光太夫高田屋嘉兵衛の名が見られる。
 百年の計という言葉があるが、その後のサッポロの成長は決して恵まれていない諸条件の中、めざましいものであり、人口(女史の紀行の最後に箱館の人口は3万7千とあるが、おそらくサッポロは0に近いだろうか?…)といい、経済といい、今、二都の立場はまったく逆転している。ただし、これは、あくまでも、今的な価値判断という立場で考えることであり、このまま膨れ続けていくことが果たして良いのかどうなのか、札幌市だけのことではない、東京はどうなるのか、そういう、お節介なことまで考えさせられた。

 百年の不作という言葉もある。