踊る阿呆に観る阿呆(徳島)

 仕事の関係で何年か徳島に通っていた。ある本で読んだのだが、伊丹空港徳島空港を往来する飛行機は凄まじいらしく、離れたと思ったら、もう着いたという感じで、飛行というより発射→着弾という風らしい。残念ながら、その貴重な経験はできなかったが、徳島に行くと決まってから、毎回、なるべく手段を変えて、視線を違えて、向かいたいと思っていた。
 実際、空路、鉄路、陸路、海路とその度に行き方を変え、結局、もっとも馴染んだのは海路であった。残念ながら明石大橋関西国際空港の影響で海路は次第に姿を消し、今では徳島〜和歌山港のみとなってしまった。(関空〜淡路島〜徳島航路や東京などからのフェリー航路はあるが)
 もうこれで仕事として定期的に来ることもなくなるだろうというある年の夏、阿波踊りをじっくり観ることにした。直前だったので市内のホテルはとれないと覚悟していたが、キャンセルでもあったのか、奇跡的に演舞場前の宿がとれた。
 着いてみると、京阪神から、わざわざ踊りに来る「連中」が、もう自宅あるいは職場から踊り衣裳のまま、飛び出してきたような勢いで、狭くもないホテルのロビーを埋め尽くしている。
 部屋に向かうエレベーターで連中と出くわしても、(この時期、徳島に泊まっている客は)もう他人ではないとお互いが承知しているので、気軽に声を掛け合える。
「どこで踊るんですか?」
「ハイ、藍場浜で踊れるんですわ」
 そこは泊まっているホテルの真横で、市内には藍場浜のほかに、市役所前、紺屋町、南内町、合計四か所の演舞場があり、他の会場と異なり、熟練した連中しか踊れない処であるという。確かにこの四つの演舞場は座席に限って有料制であり、お金を払ってまで観る価値のある連だけが集まるということなのであろう。
「あとで観に行きますから」
「一緒に踊りまひょ」
 そんな会話が気軽に成立してしまう雰囲気がある。
聞くと、今朝早く、バスで関西方面から来たという某企業の人たち(連)で、「今は便利になったけれど、橋がなかった頃は、大変でしたわぁ」と、世紀の無駄遣いともいわれた架橋も、彼らには大変な恩恵を与えているようである。
 部屋に入ると、早速窓越しに隣の演舞場へと視線を下げると、まだ日の落ちないうちから、観客席には観る阿呆どもが集まり始めていた。
 陽がまだ高い真夏の夕刻六時過ぎに、新町川沿いに控えていた連中の出番である。鉦やお三味の軽快な鳴り物の音(ぞめき囃子)とともに、一連一連ごとにマイクを通じて紹介され、舞台へと登場してくる。観衆の眼という眼が集まる。舞台の総延長は百メートルほど、そこを一年間の練習の成果を、舐めるように練りながら、時には観衆の前に立ち止まり、踊りを披露する。拍手喝采。それでも一連に与えられた時間はわずか、四十連ほどが踊り切るのは二時間ほどでしかない。(〇四年から、演舞場では時間を置いて、このあと第二部が始まるようになった)
 それを観終わると、次は『街角踊り』に出かける。この期間ばかりは市内の目貫き通りも車を絶ち、阿呆たちに開放する。演舞場のような観客席はないから、観る方は道路脇に立って並んでいる。後ろの方の観客は、普段は車が往来している「俄(にわ)か演舞場」を背伸びしないと、見ることが難しいほどの混みようである。
 連が踊り始めると、観客も、最初は遠慮がちに遠目で観ているが、そのうち、体が自然に前へと出て行き、と、次第に踊り手たちの方へ近づき、遂には、踊ると観るの区別がつかなくなる。そして、阿波踊りは最高潮を迎える。
 わたくしが阿佐ヶ谷に住んでいた頃、もう二十年ほど前になるが、隣駅の高円寺駅周辺で阿波踊りが行われていたので、観に出かけたことがある。当時は、わたくし自身の興味が薄いこともあったのか、それほどの賑わいを感じなかったものの、改めてHPを見ると、昨年で四十八回目を迎え(一九五七年から)、三日間で延べ七千人の踊り手と百万人の観客(高円寺阿波おどり連協会による)というから、本家に匹敵していると言ってよい。(徳島市は四日間で百三十六万人、踊り手はさすがに多く、延べで千連十万人)
人口八十二万人の徳島「県」と五十二万人の杉並「区」の違いといえばそれまでではあるが、高円寺の連中たちの半世紀にわたる奮闘ぶり、いや踊りぶりがうかがえる。
 もちろん、徳島県内でも各地で行なわれているが、どこも踊り手不足が深刻になっていると聞くから、ここにも東京集中、地方の過疎化が影響しているのかと、少し、悲しくなってくる。もっとも、徳島駅前にある行きつけの呑み屋の親父に言わせれば、もともと二日間だったのを(観光振興とやらのために)四日間に延ばしたこと自体、無理があった。しかも、たいていはお盆休みとはいえ、毎年一二〜一五と日程が固定しているから、平日も混ざってくる。せめて土日を必ず入れるとかすればねぇ、と、なるが。
 土日はたいていの呑み屋はお休み、ところが阿波踊りがあれば、界隈には普段では考えられない人の数、そのうちの何十人、いえ何人かは、しがない居酒屋に目を留めるかもしれない。しかし四日間全てが平日だったりすると、普段来てくれるお客さんまでもが踊りに目がいって、店はさっぱりということらしい。わたくしが街角踊りの終わった(ついでに)寄った日も、確かにお客さんは多いとはいえない状況であったので、親父の言うことにも一理ある。

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 アメリカのボールパーク(野球場)はフィールドとスタンド(観客席)が危ないくらい接近していて、例えば甲子園のような広いファールゾーンがない。初球から力ないファールフライを上げてしまい、アウト!という間抜けな状況を少なくして、なるべくベースボールを楽しもうという意図が感じられるが、お互いの距離が近いだけに、プレイする方も、見る方も臨場感を肌で感じることができ、ゲームに集中できる。日本の球場のような、ただ、うるさいだけの応援も、勝敗だけにこだわる雰囲気もない。誰もが集中しているから、打者の打ち損じたファール球にもプレイヤーと同じ程度に反応する、決して、避(よ)けない、たいていの男たち(子どもも大人も)は手にグラブを着けて、球を追う。捕れても、捕れなくても、満面、笑顔である。そして、潔く、捕った者を勇者と褒め称える。だから、野球が面白い。誰もがボールパークに連れて行って欲しいのである。
 あるいは、フットボール
二〇〇二年に韓国との共催で行なわれたワールドカップを機会にフットボール(サッカー)に興味を抱かれた方も多いだろう。フットボール場も驚くほどフィールドと観客席の間が狭い。うっかりすると、スローイングさえ、ままならぬ競技場もあり、アウェイチームの振りかぶったボールをひょいと観客席から取りあげることさえできそうな至近距離である。

 ボールパークフットボール場にはプレーヤーと観衆の距離がない。それゆえ、両者は励ましあい、時には厳しい言葉を掛け合うことで、一体となることができる。
阿波踊りにはそれと同じ距離がある。
(踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ、そんそん。)